スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

8月, 2023の投稿を表示しています

8月31日

今日で8月が終わる 僕が子供の頃は、明日から新学期  という微妙な心理状態だった頃 なんとなく、そんな気持ちで今も8月を終える 9月を迎えると年末まで一気に進んでいくような気もするが、実はこれからが僕は一番忙しい 秋のイベント出演、稲刈り それらが終わると一段落 後は魂が抜けたように年末に向かう… そんな今日 庭のサルスベリが花を咲かせていることに気づく 何年か前に植えたのだが、日当たりが悪いと育ちが悪いということで、庭の梅の木の下で密かに育っていたサルスベリ 花を咲かす事もないかぁ〜 そんな事を思いながら日々を過ごしていた。 そんな中の開花 何か言葉にならない喜びがあった。 思うようにならなくても、いつか花を咲かせる時もあるのだ…など 一見どうでもいいようなことだが、僕はとても嬉しかった 日の昇る方角(東の方向)に赤い花が咲くと縁起がいいと聞いて、赤いサルスベリを植えたが、先程書いたようにそんのこともなく、 だからこそ、この8月の終りに気付いたこのことにある種、感動を覚えた(しょーもなっと思う方もいるかも知れませんが (笑)) 幸せとはそんな些細な事に感動することから、始まるのだと想う今日なのである😊 みなさんにも、いいことありますように🤗 今日は、どの曲載せようか迷いますが、この曲を。 心花 ご覧下さい😊

夏の終り

 先日、森山直太朗さんの夏の終わりについて、書いたが、今回は小田和正さんの夏の終り 終わりと終り送り字に違いはあるが、これが何を意味するのかは、定かではない 今週から学校の方も新学期が始まり、また慌ただしい暮らしが始まる 残暑厳しい中にも、時折吹く風の冷たさに季節の変わり目を感じる さて、小田和正さんの夏の終り 初めて歌ってみたが、とにかく高音が特徴なので、そこをどう自分流に歌うかがポイントだった 誰しもオリジナルの印象が強い中、違和感しか覚えないような歌ではなぁ…と 小田さん独特のメロディライン そこに優しい言葉が重なってこの曲は完成する 一番、印象に残ったのは あきらめないで、歌う事だけは の 一言 何か今の自分の心境と重なる そして、 この丘の空が好きだった の 一言 先日、空を載せたが そこも、今の自分と重なる 世の中、ご縁というものがあるが その時、自分が選んで歌う歌も またある意味ご縁なのだろう ピアノのイントロから始まり 歌に入ったとき、眼の前に広がる言葉(歌詞)を追いながら、その歌の世界を体感する 今の自分の心境と重なることで、その体感はリアルに自身の体に浸透していく 歌うことは大好きだけど、今、自分はどうしたいのか? わからなくなる時がある でも、歌うこと が 自分の夢である ただ、今はどこを向いているのかわからない それを思うから この曲の言葉が心に刺さったのだと思う コロナ禍を過ぎて、今は元の暮らしに戻っていっているようだが、やはりカラオケを辞めた方も多く 以前と同じというわけでもない やはり、それは仕方のないことだが、淋しいことでもある 夏が過ぎ、秋になり、稲刈りが終わると毎年、さみしくなる 元々、寂しがり屋なのだから、 これもしょうがない 秋に失恋ソングが多いのもそんなところから来ているのかも知れないな でも、この曲のいいところは 誰にでも朝は訪れるから の 一言 ここで、想いは、気持ちは、前へと向いていく 時間というものは、色々なことを浄化させ、幸せの方向へ導いてくれる だから、生きるということは素敵なことなのだ 夏の終りには 様々な思いが交差する そんな事を思わせてくれた一曲だった

のんびり休日

 今日はあまりこんなことのない ノンビリした1日だった いつも、休みでも休みでないような日が多く 常に自分何かをしなければならない事が多いのに 今日はゆっくりしました。 昨日と違って朝から強い日差し 照りつける太陽の光が眩しく 朝から汗ばむ 熱中症警戒アラートも発令されて、自宅でダラダラ 歌の予定が来月あるから、なんとなくセットリストを考えたりして… 人間たまには休息も必要ですね。 今日も早めに飲むか〜(笑)

夏の終わり

 今年の夏もそろそろ終わり 台風の影響で一足早く夏が駆け抜けていきそうな感じでもあるが・・まだ日差しの強さは変わらない 外に出ると肌を突き刺すような日の強さ 田んぼ仕事をしていても、年々日差しの強さは増していっているようにさえ思う そうは言っても、時は流れ今年もあと数日で9月となる 稲刈りまであと2月となった 夏の終わり とタイトルのつく曲はけっこうな数があり、歌とはやはり人々の季節感 その季節に想うことを書くことが多いのだと感じる 数ある歌の中でも 森山直太朗さんの夏の終わりはひとつ何か違う 今回歌ってみて思ったのだが、2コーラス目の歌詞に 夏の祈り と出てくる 夏の祈りから連想することは やはり終戦であろう 8月15日の終戦をもって第2次世界大戦は終わったものの それまでの悲惨な出来事は決して忘れることの出来ないことであり、この夏の終わりという曲にはそのような想いが込められた曲なのだ。 夏の終わりになると会いたくなる人 というと、離れ離れになった家族、友人、恋人・・・それぞれに大切な人のこと 時は流れて記憶は遠のいていくが、それでもすべてがリセットされるわけではない。 心の奥底からこみ上げてくる涙は時には笑顔の下の隠し、日常を送る それでも、忘れ去ることは出来ないし、忘れてはいけないことなのだと思う 歌は歌い継がれる 当時を知らなくても、歌を通して感じ、想像し、感動することで伝えていけることはたくさんある。 夏の終わり この曲にはそのようなメッセージが込められた曲なのだと、歌うことによって思った次第です。 森山良子さんの♪ざわわ・・ざわわ・・ざわわ で有名な「さとうきび畑」と同じ反戦歌 大事な言葉を多く含んだ曲なのだと改めて思う 今日なのである。 初めて歌ってみました。

8月26日 北川大介25周年

 今日は朝から 田んぼの畔刈り あ〜くたびれた〜 でも、風が時折吹いて 涼しさをもたらしてくれたから、なんとか作業出来ました 2ヶ月後には稲刈り 早いなぁ さて、そんな本日は 北川大介さんのデビュー25周年の記念日 前橋ブルースでデビューしたのが1998年の本日 僕は10周年の頃から北川大介さんの曲をよく歌うようになりました。 それまで、演歌はほとんど歌ったことがなくて、声の出し方から始めたのを覚えています。 以来、カラオケ発表会など北川大介を歌うと言えば僕 そんな構図ができてきていた様でした。 たくさん、歌いました〜 その年の新曲は必ず どこかで歌っていたし、そんな活動の中 ご褒美とも言える 北川大介男と女のカラオケコンテストで最優秀賞 今でも最高の思い出です。 最近では北川大介さん 以外の曲も歌うようになりましたが、やはりメインは大ちゃんかな これからも、ご活躍下さい😊

ペッパー警部 8月25日に

 昭和51年1976年 の本日 ピンクレディーがデビューした もう47周年 早いなあ 僕が小学3年生の夏休みの終わりだった頃 この二人がデビューした事が、僕の今現在のうたスキスタイルの幅をもたせてくれた 歌は元々大好きだった 演歌が特に好きで幼少期から 歌手 が僕のひとつの夢でした そこに彼女たちのデビューで 僕の音楽感は大きく変わる 動いて歌うこと そして、彼女たちが歌う洋楽のカバーナンバー そこにハマっていった ピンクレディーか好きというと 歌は二の次踊ってばかり と捉えられがちだが、僕は全く違う ショービジネスの観点で見ていた とうしたら、お客さんに受けるのか 子供の頃から、歌い踊りながら しっかり 歌うことを考えていた 40を過ぎて もう一度歌うことを 考え始めた 歌手ではなくても 出来ることはある そんな気持ちで今に至る 今、もう一度 振り返りながら 楽しく歌うことにこだわりたい そんな事を思う 8月25日で あります 今日はうちの愛犬ロッキーの誕生日でもあります😊

空へ・・・

 空 青空 曇り空 雨空 僕は空を見るのが好きだ 特に夏の終わりの空 好きだなあ 空を見ていると色んなもの、こと が小さく思えてくる 空はどこにでもあってどこも同じ それぞれご縁のある方もあの空の下に住んでいる 色々なことが頭の中を駆け巡り、色んな事が目の前でおこる 年々、年齢と共に起こることは大きくなるが 不思議とこなせてゆく 自分が成長していることを、そこで感じる これがいわゆる「亀の甲より年の功」なのであろう いつも、空をみると自分の小ささを感じながら過ごしてきた もっと・・もっと・・自分の欲するままに生きていく 一度しかない人生だから・・ これからも・・ 以前日本アニメーションシリーズの主題歌に「空へ・・・」というタイトルがあり好きだった

百発百中

 作詞家 阿久悠 彼の作品は昭和歌謡の黄金期に数多くの作品を残された 演歌からポップスまで多種多様な曲を 今でも歌い継がれる曲たち 津軽海峡冬景色、北の宿から、勝手にしやがれ 今でもカラオケで歌われる曲ばかり そんな中、最も彼自身が苦しみながらも、楽しんだのが やはり、ピンク・レディーだろう 一般的に歌謡曲の題材になりそうもない事を歌にしてきたのだから 今年45周年を迎えるサザンオールスターズの桑田佳祐さんも多分に…阿久悠さんの影響受けているであろうと思われる。 阿久悠さんが生前、桑田佳祐さんの登場に、こんなストレートにパロディを、書ける者がいるとは思わなかったとんでもない者が現れたと言っていた。 勝手にシンドバッド このタイトルに驚いたという その時代を知っているものであればわかるだろうが、1977年の大ヒット曲 渚のシンドバッド と 勝手にしやがれ からなるタイトル 曲の内容とはまったく関係ないがそのハチャメチャな感じはインパクト大であった。 エロティカ・セブンはピンク・レディーのモンスターの要素を取り入れています 話をピンク・レディーに戻そう さて、このパロディ 阿久悠さんがピンク・レディーで多くのパロディを書いてきた 宇宙人にしたり、野球をさせたり、怪物が現れたり··· そんなピンク・レディーでピンク・レディーのパロディを書いた作品がこの百発百中である。 今回は怪盗ルパンならぬ 怪盗カルメンナナナナである ルパン三世も当時ヒットしていて、銭形警部ならぬペッパー警部に挑戦状を叩きつける それまでのヒット曲のタイトル全部入ったといえばキャンディーズの微笑がえしがあるが、それのピンク・レディー版とも言える作品 ただ、これをシングルではなく(当時の明星の歌本には新曲紹介にありましたが、)アルバム収録したことがよかった。 シングルにするには歌自体が難しすぎるからである。 ピンク・レディーブーム末期に生まれたパロディ作品 とにかく、都倉俊一氏の曲にも一層クオリティの高さが伺える作品。 何が凄いってこの展開の速さ、ラップなのか違うのか?そんなおもちゃ箱を引っくり返したような作品 ピンク・レディー作品に共通するのはワクワク感 とにかく楽しい終わった後の爽快な気持ち 歌謡曲全盛期 ピンク・レディーの果たした役割はやはり大きかったと思う。 今回初めて歌って踊りましたが… まとも

発売されなかった「サウスポー」

 1978年3月25日 当時人気絶頂だったピンク・レディーの7枚目のシングル「サウスポー」が発売された 発売1週目にして1位を獲得以来9週連続1位 売上175万枚(出荷計) 今でも甲子園球場で聞かれるスタンダードな曲となった しかし、この曲には発売されなかったバージョンが存在する そのころまで3か月おきに発売されたいたピンク・レディーの新曲 サウスポーの前作UFOはピンク・レディー最高の売り上げを誇り、1978年度の日本レコード大賞も獲得した。 そのUFOの次の新曲 ピンク・レディーのスタッフたちも、必ず1位を獲ること、ミリオンセラーを記録すること それがピンク・レディーの使命のようなものだったということもあり、かなりのプレッシャーがあったのではないだろうか? 最初でき上った作品には背番号1のすごいやつは登場しない 歌詞をみると 当時の野球もののアニメか漫画を連想させる内容である ミディアムテンポのどちらといえば、ダークなイメージの曲である。 レコーディングまで済ませ あとは発売というときに、プロデューサーから待った!がかかった なにかピンとくる要素がない・・・ そこで、1週間で書き換えられ、今みんなが知っている「サウスポー」が出来上がった このことから、思うのは仕事でも顧客への反応と先を読む力 大切だなと思う この時の判断で新しいサウスポーも大ヒットを記録した ハイテンポで曲の中でイメージが非常に湧いてくる 背番号1のすごいやつを相手に流れも緊張感も見えてくる 素晴らしい作品である。 サウスポーはこの年の歌謡大賞を受賞 ピンク・レディーといえば、この曲のイメージも多いのではないだろうか? 初めて歌ってみました。

SNS

  僕がパソコンを購入したのは2004年のこと 最初はまったく使えなかったが、面白半分で始めたホームページ作成がきっかけでどんどん使えるようになっていった。 記事の打ち方 画像の貼り付け方 レイアウトの仕方 そして、動画の貼り付け方を通して今のYou Tubeへとつながる。 ホームページは僕の好きなものをただ書いていただけだった 当時バレーボールもやっていたので、関連する記事を書いたこともあった が、なんと言っても多くの方がみてくれたのが ピンク・レディーの記事 当時限定復活全国ツアー中ということも相乗効果だった 共通の話題で見知らぬ者同士がやりとりをする ネットってすごいなあ そんな事を漠然と思っていた それがいまや、主流はSNS 数多くあったブログサービスはどんどんなくなっていき インスタなどをやる人の方が圧倒的に多い そんな中、僕もインスタなどをはじめ、このブログもあまり更新しなくなっていったけど、改めて思うと ブログの方が落ち着く インスタなどは確かに多くの情報を見ることが出来る が、それはどんどん吐き捨てられて ほとんど残らない フォロー数やいいねの数を 気にしてしまい 本来の目的からズレていく そんな気さえする そんな印象 何か上げていなければ…そんな気にさえなる人もいるんしゃないかな? 人のインスタの過去の画像までを追って見ていく人はあまりいない たまたまあがってきたもので、よければみるが、なんとなく見てることのほうが多い でも、ブログになると面白いものであれば、どんどん追ってみたくなる しっかり、読めるし 面白いものもある 僕は元来 書くことが好きで、これまでもホームページ、ブログを通してたくさん書いてきた。 とりとめもなく、思ったままを 時代の流行に乗ろうと始めたけど 今後は好きなことを 周りを気にせず 以前のように書き留めていきたいと思う。 #SNSはほどほどに

2001年愛の詩 

 今年もそろそろ24時間テレビが放送される頃となった 愛は地球を救う テーマソングはみんなが知っている「サライ」 でも、最初は違っていました。 第1回目の放送は1978年(昭和53年) 当時、僕は小学校5年生だった 大好きなピンク・レディーが初回テーマソングを担当 「2001年愛の詩」 その頃、21世紀というものに漠然と憧れをもち、どんな時代なんだろう?と色んな期待を持っていた。 宇宙との連携とか・・ そんな憧れを当時UFOの大ヒットで宇宙人化したピンク・レディーが地球の人たちに歌いかける  オオオ諸君 地球の諸君 人類はこれまで、成功の過ちを繰り返し、進化を遂げていった でも、21世紀は愛する事があたり前だから、愛という字はいらない と歌う 作詩は阿久悠 氏 愛に満ちた平和な時代を夢見て宇宙人と化したミーとケイを通じてメッセージをなげかける。 今2023年 2001年から22年が過ぎた 確かに子供の頃夢に見た腕時計が通信機器に、手軽に情報も入るネット社会に どんどん時代は便利になった しかし、心の豊かさはどうだろう? 愛という字がいらないという時代だろうか? 21世紀を迎えてから、リーマンショック、リストラ、そして最近の新型コロナウイルス・・・ 昭和の時代には想像も出来ないことを多く迎えている。 豊かになればなるほど、心が追いつかない 心が疲弊していくものも多い 生きにくい時代と聞くこともある 国同士の争いや緊張感 日常生活でも些細なことにストレスを抱えることも… 考え出すとキリはない この曲のような時代は夢物語かも知れない しかし、いつか 愛という言葉がなくなる時代 迎えたいものです 愛する事が当たり前な時代に・・・^^ 今回、初めて歌ってみました。 2001年愛の詩

終戦の日

今日は78回目の終戦の日 個人的には戦争体験もなく子供の頃から 平和授業を通して知ってきた  ただ、この日を境に日本は変わった  今のこの時代は先の大戦で多くの犠牲を払った後に反省を元に築かれてきた ということ。  多くの命が奪われ、自分の生きたいようには生きていけなかった人達  今は自由に発言ができ、自由になんでもやれる  当たり前のことが当たり前とされる世の中  改めて、この時代に生まれてよかったと思う。  でも、そんな折、この終戦の日があったからだと言う事をこれからも、忘れてはならないと思う今日なのです。  今回はYou Tube更新、終戦翌年に発表された 田端義夫さんの かえり船 歌ってみました。  私の父も戦後、シベリア抑留から帰還しました。  戦争が終わって3年後の事です。  そんな時、帰る船の中ではこんな気持ちだったのかなあと 思う次第であります。