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森林

 最近、ニュースで熊の出没とよく目にする 温暖化の影響で食べ物がなく人里まで下りてくるということであるが、食べることが出来ればそのようなこともないのだろう それまで人と熊(だけではなくそれぞれの動物)には生きていくテリトリーというものがありそれらの中でそれぞれが暮らしていたはずだった 人間と違い動物は食べることさえ出来ればいいはずなのに・・・ 自然破壊が温暖化をすすめているとネットで掲載されていることもあるが真相はわからない このような悲しいニュースを見ると心が痛くなる 九州は熊がいないとされるが、それ以外の動物がいる 近くの竹藪の中にも人目を避けて暮らしている動物がいると思う ここ数年極端に暑い夏を過ごすにつけ樹木のありがたさを感じる とにかく木の下にいると涼しい 木には精霊が宿ると言われいるが、やはり心地よさをくれるように思う あの熱い日差しを遮ってくれるのは本当にありがたい 夏は作業も大変 そんなとき木の陰はオアシスである でも、田舎も高齢化がすすむと後々のことを考えて庭木や敷地にある木を伐採しているお宅をよくみる 木の手入れは大変なので大きくなった木は根元から切っていくのだ 毎日犬の散歩をしていると夏はそんな木陰がありがたい うちにも庭木があり手入れをしているがそれもいずれは手入れができなくなったら切り倒してしまうのだろうか? 仕方のないことでもあろうが、淋しいなと思うのは 今が秋だからなのか? 自然はやはり人間だけのものではないのだと改めて感じるのである
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アナログレコードの魅力

 かつてレコードプレイヤーでいつも聞いていたレコードたち さあ、何年振りだろうか 緊張気味に針を落とす・・・ ジー・・・独特のノイズ音に音が鳴るのを期待する そんな時間がまた訪れようとは思ってもいなかった 近年アナログでの新譜が多く発売されている CDが発売されたときには画期的だったノイズもなく曲の頭出しも楽 でも、それが今の時代便利過ぎる世の中で懐古の念が人々の心を惹きつけている 昭和100年の今年 ちょっと不自由だったけど人が人らしく生きていた時代 そんな時代に寄り添うように音楽が隣にあった 好きな音楽を聴くにはレコードを買う以外方法がなかった時代 人々はこぞって好きなレコードを買っていた だからそこに 想いも思い出も宿った 今の時代音楽は聴き捨ての時代 手軽に聞けるから手軽に聞かなくなる 演歌歌手などはCDを売りさばいた時代と比べて大変だと想う CDだから売れなくなったのかも知れない サブスクでいくらでも聞けるから 媒体時代必要なくなった これも時代なのかなと思う そんな折のアナログレコードの復活 落ち着いてゆっくり音楽を楽しむにはレコードが最適 なぜか? それは面倒だからなのである 手軽に聞ける音楽は手軽に止める 頭出しが必要であれば何度も同じ曲を聴く でも、レコードの場合、準備に少々時間がかかる 手軽ではない・・・ そして一旦針を落とすと頭出しなどしない アルバム時代をゆっくり楽しむことができる なんでもタイパの時代生き急ぐ現代において自分のために少しの時間を使うことは決して贅沢なことではなく、心の休息をとり、新たに再生する時間なのではないかと考える ネットやテレビもいいが心が休まることはない 心の断捨離 レコードはそんな時間をくれるような気がする 最近再び、中古のレコードショップに行くようになった 今まで気にならなかったレコードも手に取り聞いてみたくなってきた 新譜として発売された「ピンク・レディーベストヒットアルバム」も購入して聞いてみたが レコード本来の音に加えて音の広がり音の深さが加わったようである 新しいカッティング技術を用いて昭和の音を刻み込んでいく そんな心を感じた これまでCDで発売されたものもあらたにアナログレコードで再発売という記事もよく見かけるようになった 自分だけの癒しの時間 レコードを通して感じてみるのもいいものだ そんな...

NHK

 なんと一月以上ここに記すこともなく3月も終わりに近付いている 本当に年が明けてからの3ヶ月、あっという間である ブログもここだけではなく他にもあるので、ここまで書いていなかった さて、タイトルのNHKだが 田舎に住んでいるとNHKをみる機会もそれなりにあるが、これまでどちらかと言えば民放のチャンネルを見ることの方が圧倒的に多かった が…ここ数ヶ月朝も夜もNHKを見ることが多く不思議とそこで家族の団らんというものも変わってきた気がする 民放の番組とNHKの番組で違うのは家族間の会話である 確かに民放の番組も面白いものにはゲラゲラ笑ったりするがだからと言ってそこで家族間で会話があるかというとそこまでもない ところがNHKの番組には家族間で会話が生まれる不思議な現象がある それぞれの番組で自然と会話が生まれる それは民放の番組にはないもの 昭和の時代にはそれが多くあった 家族みんなで見ながらそれなりに会話が生まれることが 今、テレビが面白くないというのはひょっとしてそこにあるのかも知れない そんなことを想った今日なのです

 今日は久しぶりの雪 昨夜から降り続いた雪 今朝は出勤も大変だったけど数年前と比べたらまだよかったかも お昼すぎにはもう溶けていたので帰りは大丈夫だった 今朝は我が家の犬の散歩中 犬がつるんと こけてしまいました 初めてみたけど うちのワンコは普段からそそっかしいのでそれもあったのかな? でも素早く起きたところもやはりさすがでした そんな今日でした

新年

 日が変わり、新しい年を迎えました。 2025年 今年はどんな年になるのか? とにかく健康で歌えればそれが一番嬉しい事である いずれ、歌う環境なども自ずから切り開いていきたいとも思うがまずは本職を終えてからの話である 子供も今年は大学入試の年 色々なことで今年も忙しくなりそうだ そんな中 今年も歌って それによって喜んでもらえることが自分への褒美のような気もする 今年もしっかり 歌いますよ 今日は恒例の家族揃っての初詣 今年も家族全員一緒に正月を過ごせることがやはり幸せなんだと思う 今年もがんばります☺️

2024年大晦日

 今年のあと数時間で終わろうとしている 朝から自宅周りなどやり残した箇所の掃除などに追われる いつもの如くお墓の掃除も行った ご先祖に手を合わせ こうして家族みんな元気で一年過ごせたことへの感謝の気持ちを伝える 今年を振り返ると 能登半島の地震に始まりどんな年になるんだろうか?そんなことを思った年明けであった 今年は自分にとっては終わってみれば変わらない1年だったようにも思うが、やはり苦しいこともあった 考えなくてもいいことを考えなくてはならないこともあり、 でも、いつものことではあるがなんとなく乗り越えている 歌を歌うこともいつまでやれるのだろうか?と思う時もあるけど、それは自分の意志によるものなので、歌おうと思えば歌える 単純だけどそうなんだな 新しい出会いも多くあった 実際に会えなくとも会話ができる喜びもあった 自分に正直に いつも思っていることではあるが、年々その思いは強くなる やりたいことすべてやりたい この大晦日 自分の生き方を改めて振り返って 自分らしく これからもやっていこうと思う次第であります 今夜の紅白では能登を歌った2曲が歌われる うれしい限りだ 能登はいらんかいね(坂本冬美) 能登半島(石川さゆり) どちらも今年僕も歌った歌である 能登へのエールとともにわが故郷、わが家族、わが友人 それらに感謝を思う今夜となりそうだ そんなことを思う今日2024年の大晦日である

慰問

 昨日はコロナ禍以降久しぶりの慰問に行ってきました コロナ禍になる前約7年間老人ホームの慰問は年に5回ほどでした。 僕の歌謡ショーの原点は施設の慰問で作られたものでしたが、コロナ禍になりそれもなくなり代わって一般イベントでの活動となりました。 一般イベントと老人ホームでの慰問は内容がまるで違うので久しぶりの慰問 少々戸惑いましたが無事30分間務めてきました。 曲目はその場で全部決めました というのもプログラムを決めてもカラオケの予約が出来ないので、その場で一曲ずつ入れるしかなかったからです。 初めての施設ということもあり、利用者の方々の反応をみながら無難な路線での曲目 まずは青い山脈 そして、奥飛騨慕情、北国の春 途中お話も交えて、津軽海峡冬景色 最後は僕の最近歌っているナンバーから246 これはリクエストによるものでしたが、利用者の方以外に施設の方も楽しんでいただけました。 ラストは北川大介の家族 砂の城もリクエストいただきましたがこの施設のカラオケにはありませんでしたので急遽差し替えて家族で締めました。 5年ぶりの施設での慰問 楽しく今年の歌のステージもこれで歌い納めというところでしょうか? 改めて聞いて下さったみなさんにありがとうございます という気持ちです。 これからも、元気で歌いたいなと思いました。