昨日のワールドカップで男子バレーが条件通りストレート勝ちして見事オリンピックの切符を手に入れた
久しぶりにバレーが面白いなあとみていた矢先のことである。
今でこそ、歌一本が自分の楽しい道であるが、数年前までは歌とバレーボールが楽しい道であった
歌の活動が増えてきたため、バレーボールは辞めてしまったが、30代の頃はバレーボール一筋であった
ジュニアチームの監督も7年やっていた。
今回の男子バレーの躍進をみてあの頃の思い出を綴ってみたいと思う。
遡ること高校時代はめちゃ青春だった
高校の入学式の日、部活の勧誘で背の高かった僕はバレー部の先輩から声をかけられて半強制的?に入部
最初はあまり熱が入らなかった自分ではあったが、あることをきっかけに意識がガラリと変わった
今でも僕の人間形成の基となったある人物のことを知ってからである。
その方とは
猫田勝敏
ミュンヘンオリンピックで男子バレーが金メダルをとった時の選手である
男子バレーが世界の最高峰に上り詰めた時代
ポジションはセッター
誰よりも熱く誰よりも献身的にバレーを全うした選手である
僕がバレーを始めた高校1年の秋、彼は39歳という若さでこの世を去った
その頃、たまたま買った月間バレーボールという雑誌に彼の訃報に際しての記事が掲載されていた
当時バレーの選手というと女子バレー全盛で、ましてやミュンヘンの頃はまだ僕も小さい頃で全く知らなかっただけにその記事は衝撃的に映った
翌年はロサンゼルスオリンピックということで男女共に切符を獲得していただけに大いに盛り上がっていた頃だった。
猫田さんの奥さんの手記も発売されTBSでドラマ化もされた
そこにはガンで闘病中にも関わらずバレーへの情熱は失わずひたすら指導にあたっていたという
死の直前クイックのサインをしたまま、この世を去ったという話も残されている
一つのことにここまで情熱を捧げることはなかなか出来ることではない
そんな感動が手記を読みながらまだ15歳だった僕の心に刻みつけられた
彼は広島市で生まれ幼いころからバレーをやっていた
元々広島というところはバレーボールの盛んな地域であったようだ
崇徳高校を経て専売広島(今はJTサンダース)に所属
僕にとったら今でも広島市という地はある意味聖地なんです。
広島の地に足を踏み入れることは神聖な気持ちになります。
自分を捨てて人の為に生きよ
これがセッターというポジションに大切なことなんだと
高校に入るまでわがままだったかなという思いがその時、思い返された
当時の僕にはそれまでの自分がいかに違っていたかそんな反省を促してくれた
バレーボールをご存じの方はおわかりになると思いますが、セッターというポジションは守備から攻撃への橋渡しをするところです。(トスをあげるところ)
だから、必ず関わってくる地味だけど、なくてはならないポジション
アタッカーが光とすれば、セッターは影の存在である
でも、その影がしっかりしなければ光は浮き上がって来ない
決して目立ちはしないが大事なことである。
人間誰しも目立ちたいし、脚光を浴びたいでしょう
認められて賞賛を浴びたい
そんな承認欲求というものが、人間には元々備わっているのですから仕方ありません
なんとなく・・自慢したい
そんな気持ちも誰にもあることです。
だから、インスタとかハマルんだと思います。
僕はこのバレーに携わり、この時に社会という大きな場面に向けて、大人になっても自分には自分の役割があるということ知りました。
決して人とくらべるのではなく、自分に与えられた役割があるのだと。
僕が今、歌を歌ってYouTubeなどで配信をしていると
あたかも目立ちたがり屋でお調子者のように思うかも知れませんが、元来控えめです。僕は(笑)
普段は地味に暮らしています。
ただ、自分の人生において一番やりたいことは...歌うことだと思ったからです。
そして、歌う場所が欲しいという思いから、とりあえず何かで優勝しないことには
という発想からがんばってきました。
そして、ありがたいことに優勝したあとから、色々とお話をいただくようになりました。
今は歌う事が今の自分の役割だと認識しています。
それは慰問の際にもありましたし、イベントでもそうです。
自分から売りにいけばもっといいのかも知れませんが、今はとても余裕がありません。
歌う事でそれを聞いて喜んでくれる方々
幸せの空気はどんどん広がります。
YouTubeでもそうです。聞いて下さる方がいるから歌えるんです。
親父が生前よく言ってました
自分の役割をよく認識して動けよと
お互い様でこの世は回っている
自分に今出来ることは何か?それが自分でわかれば人は幸せになれるような気がしています。
自分を捨てて人の為に生きよ
今の時代それは誤解されるかもしれません。解釈の仕方では違って取られるかも知れませんが
決して自分を犠牲にするということではなく、お互い様の気持ち、相手を敬う気持ち、それを養うということです。
自分のやりたいことをやるには一人ではやれません。
必ず誰かに助けていただく必要があります。
高校時代は当時実業団のチームをひとりで訪問して練習させていただいたこともあった
昔から行動力だけはあったんだなあと振り返ります。
僕の歌に関しても多くの方のご協力があってのこと、そんな感謝の気持ちは絶対忘れてはならないと思っています。
ありがとうございます。
お陰様で今日も元気で生きています^^
#猫田勝敏
#バレーボール
#お陰様
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